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ジョグトリップがランニングクラブにならなかったわけ

 ジョグトリップは年間24回開催しています。各大会独立のイベントとして。
 当初から思っていたこと。ランニングクラブにはしない、ということ。クラブにはならないこと。なぜか。
 私自身、拘束されるのが苦手。チームスポーツを目指すんであれば、サッカーとか野球とかバレーボールとか、他に選択肢がたくさんあります。でも、ジョギング・マラソン。
 基本ひとり。基本ひとりで活動できて、やめたくなったら自分の意志でやめられる。もう少し頑張りたかったら、欲張ってできる。
 でも、ず〜っとひとりじゃ寂しいものです。経験あります。走り初めの頃。
 九州各地の大きなマラソン大会に行くと、あちこちにテントが立ったり、シートが敷かれて、大勢で和気あいあい楽しそうな光景を見ることができます。こちらはひとり。ひとりきり。ちょっと寂しいものがあります。
 知り合いは欲しい。マラソン大会に行ったら「おおっ、久しぶり!」なんて言いながら雑談でもしたい。仲間は欲しい。でも、拘束されたくない。ランニングクラブには入りたくない。
 そういうある意味欲張りな思いが、ジョグトリップ開催の原動力になっているかもしれません。
 「参加しないといけない」とか「メンバー同士仲良くしなきゃ」とかなくて、参加したいときに参加したい。気が合う人がいれば仲良くなりたい。気軽に自分の都合で参加して、ストレスなく会話できて、自分のペースで走ったり、人のペースに合わせて走ったり、融通無碍。立ち止まって風景をゆっくり写真に撮ったり、わいわいおしゃべりしながら走ったり。
 そんなゆる〜い関係。参加者同士。参加者と主催者。心が袖振り合う時間を楽しみたい。楽しんでもらいたい。人との会話、自分との会話。
 そんなわがままで贅沢な欲張り屋さん。

知識が思考の邪魔をする?

 知識を使ってしまい、考えることをやめてしまうことってあります。特に新しく仕入れた知識は使いたくて、何も考えなしに使ってしまいたくなります。
 例えば「フリーメイソン」みたいな本を読んで陰謀史観になってしまったり、ワイドショーで取り上げられた健康食に飛びついたり。
 知識は道具。考えるための道具。なんだけども、新しい道具は使ってみたい。買ったばかりの家電品、apple watch、大工道具、化粧品、バッグ。
 私も新しもの好き。買ったものを家に持ち帰る時間が惜しくて、その場で箱を開けてすぐ使ってみたい方です。なので、よほど気をつけないと、新しく仕入れたモノを使って、振り回して、振り回されて、しまいます。
 人間は忘れやすい動物。眼や耳や鼻を通してどんどん新しい情報が入ってきます。それを全部収納してたら、いくら脳が優秀でもすぐ一杯になってしまう。なので、どんどんスルーしたり、ゴミ箱に入れたり、昔の情報の上書きしたり。
 で、自分が気に入った新しい情報が入手できたら、それで頭が一杯になっちゃうんですよね。使いたくて仕方がない。
 使ってみたら、意外と使えたりするんですよ。これが。便利。簡単。
 そうなると考えなくなります。便利簡単だと、それに頼ってしまいます。これが落とし穴。
 画一的・ステレオタイプ・マニュアル通り。
 脳が、頭脳が、腸脳が、退化してしまいますよぉ。考えられなくなりますよぉ。ただでさえ脳は怠け者なんですから。
 これ、第三者からすると「レベルが落ちたなぁ」という評価になります。外から見るとすぐ分かります。怖いですねぇ。
 なので、たまにはじっくりゆっくりたっぷり考えてみましょう。ね!

iPhoneのカメラ礼賛

 iPhoneで写真を撮るようになって写真との付き合い方が変わったような気がします。もともと写真が趣味ではありましたが、それまでは「今日は写真を撮りに行くぞ」と、カメラを首からぶら下げて撮影地に向かう、いわゆる「撮影行」でした。
 日常的にカメラを携帯するにはちょっと無理があります。コンパクトデジカメであってもそうです。
 でも、iPhoneなら携帯できます。いつでもどこでも。日常的に移動してたり、ひとりジョグトリップしているとき出会う光景を画像に収めることができます。
 とりあえず画像に収めることが大事なんですよね。どんな素晴らしい景色でも、カメラがないと写真に撮れません。当たり前ですが。思い出として心に深く記憶するという方法はありますが。
 とりあえず画像に収める。テクニックとかスキルとか感性とかの前に、とにかく写真に撮る。それが写真の本質だと思います。
 芸術的写真の前に、写真は記録。それが一番わかるのが、江戸時代とか明治大正時代とかの写真。技術的には相当なものが必要ではあったでしょうが、普通の肖像画であり、普通の街角写真。その「普通の」写真に価値が出てくるんですね。記録としての価値ですよね。すごい価値。
 家族のアルバムもそうですね。とにかく写真に写っているってことが一番大事。いつ誰とどこに行ったのかとか、家の中とか庭先とか。すごい価値。
 
 iPhoneのカメラで残念なのが光学ズームがないこと。ピンチアウトして拡大できるけど、画像をトリミング(切り取り)しているだけなので本当のズームじゃありません。
 でも、これが写真の上達に役に立つんです。ズームを使えない、ズームを使わない、ことで写真が上手になります。
 よく言われることですが、まず単焦点レンズを使いこなすことが上達の早道。
 このカメラでこのレンズで撮影するとどこからどこまで写るのか、それを身につける。そうすると、風景を眺めただけで構図が見えてきます。あとは、しっかり撮るだけです。

 う〜ん、、、。オフコースじゃないけれど「言葉にできない」。

「ピンポ〜ン」ひとつにも味がある

 昨日の午前中のことでした。家におりますと、小さく「ピンポ〜ン」と玄関呼出チャイムが鳴りました。出てみると、布団綿打ち直しの営業マン。「うちはいりません。ありがとうございます」と丁寧にお断りして帰ってもらいました。この、断るときには丁寧に「ありがとうございます」の言葉を添えて、ってのもコツの一つなんですが、それはこちらに置いといて。
 「ははぁ〜ん。なるほどぉ〜」と気付いたことがあります。
 近所の方とか家族が「ピンポ〜ン」する音と、その営業マンが「ピンポ〜ン」する音が明らかに違っていたんです。機械が鳴らす音なので、そんなことあるはずないと言われそうですが、確かに明らかに違ってました。
 具体的に言えば、音が小さく聞こえた。「あれっ、鳴ったかなぁ」くらい。さらに言えば、おそるおそるの気配が音に宿っていた。
 私も営業マンの経験ありますので、「ははぁ〜ん!」と思ったわけです。
 研修で教えられたことで、外回りするときは「この私が来ているんだから出てきて当たり前でしょ」という気持ちでピンポンしなさいというのがあります。
 実際に私、やってました、その気持ちで。そうすると、ゆっくり落ち着いて深く長くピンポンできるんです。「ピン、ポ〜〜ン」って感じ。
 同じ条件での比較はできませんので厳密には言えないんですが、うまくいくケースが多かったです。
 そういう気持ちでいることで自分自身の心構えが違ってくるということかもしれませんし、実際にピンポ〜ンが相手に影響を与えているのかもしれません。でも、有効な面談につながっていった感触はあります。
 で、今回の営業マンです。明らかに遠慮気味なピンポンでした。そして、お会いしてみても遠慮気味で「すみません、ごめんなさい」的な印象を受けました。すごくいい人で、まじめな人なんだと思います。だから、私も丁寧にお断りできたのかもしれませんね。
 どちらが良いとか悪いとかいうのは別にして、たかが「ピンポ〜ン」にも表情があるということ。

成功本は星占いみたいなもんだ

 本屋の店頭にも、インターネット上でも、SNS上でも、いわゆる「成功本」的なのが多い。あふれている。
 ついつい手にとってしまう。読んでしまう。たまには買ってしまう。
 で、成功しないんですよねぇ。本の通りになかなかやれない。本の通りにやってもなかなか。読んで満足。占いといっしょかもしれない。「ここ、私も当たってる!」とか。
 読んでると、結局著者の言いたいことは一つだけ、ってことが多いです。「消費者の感情に訴えかけなさい」とか。あとは、説明とか根拠とか事例とか。
 なので。この手の本は、一冊に一つの珠玉を見つければOK、でいいんじゃないでしょうか。ぜんぜん光り輝く言葉が見つからなければ、それは自分にあってない。キラ星のごとくいい言葉がたくさん並んでいたら、それはただの星占い。「当たってる、当たってない」になってしまうかも。
 一冊に一つ。そう割り切って、使える部分だけ使う。あとは捨てる。
 やるのは自分。著者じゃない。著者は責任とってくれない。自分で考えて、自分で行動して、自分でお金使って、結果は全部自分に返ってくる。結果はぜぇんぶ自分に返ってくるんですよ。ぜぇんぶ。
 以上ぜぇんぶ、自分に言い聞かせながらの綴り書き。読了。

木偶の坊(でくのぼう)のように不器用に

 お散歩ジョギングの耳の友、ポッドキャスト「ヒントプラス」。リスナーからの質問に経営コンサルタントのI氏が答えるコンテンツ。
 近頃は質問が終わった段階で一時停止して、I氏になったつもりで私なりの「答え」を口に出している(変な目で見られない程度の小声で)。どんな質問が来るのか、どんな答えが自分から出てくるのか、I氏の答えとどう違うのか、毎回楽しみです。
 毎回15分くらいの尺で収録されているこの音源を例によって10回以上聴きこむわけです。I氏の「答え」にももちろん何回も聴きこむことで見えてくるものがあるんですが、「質問」も同様だと発見しました。
 質問部分を何回も何回も聴きこむことで、質問者が見えてくる(ような気がします)。「ははぁ、この人のこの言葉がキーワードなんだぁ」とか「この人の本当の気持ちはこれなのかぁ」とか。
 質問者と面談しているわけじゃないし、録音され終わった書き換え不能状態の音源なので、こちらの態度とか言葉が相手に影響を与えることはない。これって、「木偶の坊(でくのぼう)」状態で聴いているということじゃないかしら。
 木偶の坊〜役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。
 もしかしたら、人の話を聴く、傾聴するってことは、この木偶の坊でいることも必要なのかもしれません。特に面談初期の段階は。
 人の話を聴くと、ついついアドバイスしたくなる、自分の考えを言いたくなる、相手の気持ちを分かった気になる、ものです。
 そこをグッと我慢。もう少し、再度、再々度、繰り返し、相手の話をじっと聴いてみる。木偶の坊になったつもりで、「気の利かない人」になって、不器用に。
 そうすることによって、こちらも相手をもっと深く理解できるようになるし、相手も自分自身への理解が深まるし、納得いく、腑に落ちる「答え」が導き出されるんじゃないかなぁ。

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