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お散歩ジョギングのお楽しみ「ブレインコピー」

 今朝もゆっくりお散歩ジョギングしてきました。配信済みのポッドキャストも聴かないといけないし、写真も撮ってアップしないといけないし、他にすることはないけれど、お散歩ジョギング中、目と耳と頭脳と腸脳は忙しく働いてます。
 ひと通りポッドキャストを聴き終わると、お楽しみ「石原明氏の福岡勉強会音源リスニング」です。去年の11月に開催されたものなんですが、それ以来もう何百回というレベルで聴き直してます。
 約2時間の尺なんですが、深くじっくり微に入り細に入り慎重に深聴します。
 氏の思考の導線を辿ると、すごくおもしろいです。顕在意識から潜在意識まで、脳内(頭脳と腸脳)に張り巡らされた導線を闊歩しながら話が進んでいきます。なので、頻繁に話が飛びます。で、話が飛んでぐるりと一回りしてまた元の話に戻ってくることがよくあります。これを計測してみました。約5分。約5分でぐるりと思考が一回り。
 重畳的な超常的な思考の往還、その脳内ワープを、たっぷりとしゃぶり尽くすことができるんです。約2時間にわたって。
 これは贅沢ですよ。氏の思考をまるごといただきます。まるごと私の脳(頭脳と腸脳)に移植させてます。氏の言葉を借りると「ブレインコピー」。「ブレコピ」。勝手にブレコピさせていただいております。ありがとうございます。
 人の思考をまるごといただいたとして、自分の思考がそれに支配されてしまうんじゃないかという心配はないのか。ないんです。
 人の思考を摂取するためには、脳内の引き出しに整理して入れて行く必要があります。そうして初めて理解ができ、自分のものにできます。
 その整理するという段階は、人の思考を客観的に俯瞰的に捉えているという段階なんです。なので、どんなにすごい思考でも、鳥の目で把握してるんです。
 見ている対象は象とか鯨とかすごく大きなもので、こちらは小鳥かもしれません。でも、鳥瞰してるんです。なので支配されない。
 小難しい話になってごめんなさい。私の脳(頭脳と腸脳)を探検しながらの文章なので、こんななっちゃいました。
 ああ、お腹がすいた!

人と直接話すこと

 昨日、大手旅行会社2社の福岡支店に電話を入れて、ジョグトリップの存在をアピールしてみた。
 両担当者とも、じっくり話を聴いていただけましたし、興味を持っていただき質問等もいただけました。結構長い時間、電話ではありましたが、お話しできました。これがこの先どういうつながりになっていくかは分かりませんが、とりあえずそういうイベントがあることだけは、アピールできたかなと。
 これがEメールだとどうだったか。情報の確認とコンテンツの把握はしてもらえたでしょうが、こちらの気持ちとか思いとかは伝わらなかったと思います。
 ネット社会になって、インターネット・Eメール・SNSなどのツールが誰でも利用できるようになりました。すごく便利、簡単。情報を得たり発信するのには最適。私もインターネットがなければ、こんなことしてません。
 でも、実際に会って話したい、電話で肉声を聞きたい、そんな思いがあります。心のひだの微妙かつ肝心なところはデジタルでは伝わりにくい、そう感じています。
 参加の皆さんと顔を合わせ、声を掛け合い、その場を共有する。ジョグトリップの存在価値はそこにあるのかもしれません。参加者の皆さん同士でもそういう交流が見て取れて、うれしく思います。
 ただ走って終わりじゃないもの、得難い体験、すてきな思い出、そんなおみやげを持って帰っていただけたらうれしいな。

図書館が好き

 平戸図書館に来ている。暑さを避けて、智恵を摂るために。
 平戸瀬戸と平戸大橋が見渡せる窓際のテーブル席。窓の下、木製の本棚には辞典辞書類がずらり並んでいる。幸せ。至福。
 ついさっきまで、「時代別国語大辞典 上代編」をじっくり舐めるように眺めていた。
 超高価な、本屋にも置いてないような大きな辞典辞書を自由に手にとって見ることができる。図書館、図と書の館。人間の知の集結。ここから学問が始まる感じ。
 ちょっとざわざわしているのも、そんなに気にならない。本を楽しんでいるざわざわ感だからかも。
 平戸図書館はいい。ゆっくりと肝を据えて本に向かうことができる。図書館の本来の役割を果たしている。
 私の書斎。ありがとう。

挨拶の効能書き

 前回挨拶のコツをエントリーしました。

 私は毎朝「ワープする読み物」を書き終えて平戸の道をお散歩ジョギングする際に、「マンスリー平戸ジョグトリップ」の道をできるだけ通るようにしてます。
 その際、行き交う人・佇む人に挨拶の声を掛けてます。お約束通り、挨拶が返ってくることを期待せずただ淡々と。
 狙いは、この道を実際ジョグトリッパーさんたちが走った時、気持よく地元の方と挨拶が交わせるようにすること。自然に地元の方が「おはようございます」と声を掛けてくれる環境を作っておくこと。地道な取り組み、やってます。
 で、当初はただこちらが声を掛けるのが主だったんですが、向こうの方から「おはようございます」と言われることが出てきました。時にビックリするくらい大きな声で。
 あ、いいなぁ。これこれ。うれしいなぁ。気持ちいいなぁ。
 やっぱり挨拶をするのって気持ちいいんだ、改めて再発見。
 こうやって挨拶を交わすと、行き交う人・佇む人すべてがいい人に見えてくるから不思議です。上機嫌。勝手に上機嫌。頼まれてないのに上機嫌。
 これは、いい。気持ちのバランスを整えることができる。

今朝のワープする読み物は尻切れトンボで、ごめんなさい。

 私が勝手にリスペクトしてきた方がお二人います。S.RさんとI.Aさん。お二人ともビジネスのコンサルタントをされていて、ポッドキャストでも情報発信をされています。
 S.Rさんのポッドキャストを聴き始めたのは2008年。脳に衝撃が走り、それ以来ずっと聴き続けました。繰り返し繰り返し。その内容、ノウハウだけじゃなくて、「S.Rさん的思考」を目指して暇さえあれば、そしてお散歩ジョギングの時には必ず聴いてました。聴き込んでいました。
 そして、ようやく「S.Rさん的思考」が身についたと感じるに至りました。おそらく見える世界が以前と違ってきたはずです。
 そうしたら、I.Aさんが現れたんです。私の視界に。私のポッドキャストに。この方のポッドキャストも聴き込みましたねえ。すごく聴き込みました。今も聴き込んでいます。
 「S.Rさん的思考」をさらに具現化した、さらにレベルアップした「I.Aさん的思考」。講演会にも行きました。
 S.RさんもI.Aさんも、ぐんぐん上り調子で成功されてます。

 実はこの続きも書いてたんですが、ちょっと過激に過ぎるので、公開しないことにしました。なので、ここまで。尻切れトンボ。では、さようなら。

「見てきたような嘘を言い」ほめ言葉ですよ!

「見てきたような嘘を言い」
 優れた小説へのほめ言葉。
 歴史小説を読んでると、ここまで分かるわけないじゃん、というところまで書き込んでいる場面、頻繁。
 登場人物の魅力・人間性を伝えるためだったり、物語をおもしろくするためだったり、辻褄を合わせるためだったり。実際、おもしろく納得して読み進めていけるから、すごい。
 波瀾万丈、破天荒、エンターテインメント。
 見てきたような嘘を調理してフルコースのディナーのように、次から次に「ほらどうぞ。お次はこれです。こんなのもありますよ」と繰り出してくれる。私はフォークとナイフならぬ、右手の指でページをめくるだけでこのご馳走を満喫できる。
 予定された結末に向かって突き進む読書。果たしていったい、私は読んでいるのか?読まされているのか?本当に読んでいるのか?
 読まされている快感。波瀾万丈も安心して楽しめる。予測と裏切り。裏切られる快感。騙される快感。
 そして、読了。
 読了後、何も残らない小説もあります。あれだけ手に汗握って読んだのに、何も残らない。見事なほど残らない。通過する小説。真夏の出来事。それも意図的?
 嘘を楽しめるっていうのは、私たち人類だけの特権。
 「歌うネアンデルタール」によると、現生人類とそれ以前を分けるポイントの一つに絵画の存在があるらしい。抽象化するという概念の発生がそこにあるらしい。
 絵も、見てきたような嘘。見てきた以上の嘘。
 世界を抽象化して、またさらにそれを具現化して見せてくれる、原始の古代の中世の現代の未来のアーチストたち。
 私たちはずぅ〜と騙され続けます。

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