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ブラックカレー一皿の幸せ

 不思議なもんだなぁと思う。
 きのうのお昼12時、カフェでブラックカレーを食べた。前菜で生野菜たっぷりサラダが出て、歯ごたえのあるお肉と野菜が入ったブラックカレー。
 そこは女性客が多くオシャレな感じのお店で、量もそれほどガッツリではない。成人男性からすると少ない感じかもしれない。
 おいしいので、ゆっくり味わいながらよぉく噛みながら少しずつ食べます。じっくり食べないとすぐ食べ終えるってこともあります。
 食後の珈琲をいただいて店を出たのが午後1時。その後、図書館に向かいまして、読書の時間。お勉強。読んで、気になったところビビビッときたところを繰り返し読んで、小さな手帳に書き留めて、目と頭が疲れると雑誌を手にとってパラパラ。
 けっこうエネルギー消費します。実は脳が一番エネルギー消費量が大きいらしいですよ。
 夕方5時30分。お昼ごはんから5時間以上経って、かなりのエネルギーを消費したはず。なのに、お腹が空かない。まだ栄養が消化器官に残っている感じ。不思議だなぁ。
 ちょっとお安めファミリーレストランでご飯大盛りサービスランチをお腹いっぱい食べても、4時間くらいするとお腹が空いてしかたがないのに、あれだけの生野菜とブラックカレーで長時間お腹が満たされているなんて。
 不思議なんですけど、不思議じゃないのかもしれませんね。量じゃなくて、質。栄養素も含めて食の品質クオリティー。お米の味、しっかり食べた感触。もしかして、手間をかけてある「手間」の量も。
 食道を通って行く量じゃなくて、腸から消化されて栄養になっていく量と質が大切なのかもしれません。そう考えると、不思議でもなんでもなくて、当たり前なのかも。
 早朝のコーヒーも、少〜しだけ手間をかけるとおいしくなるのがわかってきました。わが腸も「くぃ〜ん」と喜びの声を上げてます。
 品質が高い少量のものをしっかりじっくり味わう習慣。

すんごく字がヘタ。だけどね、書き留めるんだ、手書きで、手帳に。

 私は字がヘタです。すんごくヘタです。なので、パソコン時代になって助かってます。自分でヘタな字を書かなくてもいいもんね。
 SNSとかインターネットで気になる記事を見つけたら、コピペするかevernoteに入れとけば間違いないしね。一安心。
 この一安心が要注意。これまで数々の情報をコピペしてきたけど、それを後で見直し活用したことって、実はほとんどない。コピペしたことで安心して、完了してしまっている。情報をゲットしたことで完了してしまっている。
 その情報なり文章なりを何回も読み返し消化して初めて、価値が出てくる。意味がある。役に立つ。
 なのに情報を獲得したことで安心して、あと何もしない。これ、現生人類に「所有」「蓄財」という観念が発生してからのものでしょう。自分のものにしたら貯めこむもんね。人にはあげないよ。大事に保管しておくからね。こっから、獲得競争・争奪戦が始まっていくんですね。奪い合い。人間の本能。
 まっ、そいつはこっちに置いといて。自分のものになったと思った時から、なにもしない。顧みない。振り返らない。振り向かない。
 なので、せっかくの有意義な情報も役に立たない。そのうち賞味期限が切れてしまって、カチカチの化石情報になってしまいます。
「あの人がこんなこと言ってました」「こういうスキル・ノウハウがあります」「私はあの有名人のこの本を読了したんです」
 雑学と同じ。「ふ〜ん。それでどうしたの?」の世界。
 何回も繰り返し読んでないから消化してないから、そこから何も起こらない。触発まで至らない。化学変化が起こらない。自分のものになってない。自分の言葉で語れない。自分に影響を与えられない。

 私は字がヘタです。すんごくヘタです。ヘタなんですが、自分の字で小さな手帳に書き留めておくようにしました。きのうから。
 書き写すことで繰り返し読めます。書き写すことで、そうですね、三回は繰り返し読んでます。
 そして、自分の字なので、ヘタなんですが、自分が書いたものとして読むことができます。自筆の自分へのお手紙。心揺さぶるラブレター。ついつい読み返しちゃう。愛着。

あっ気持ちが動いてる
たったいま恋をしそう
(尾崎亜美「マイ・ピュア・レディ」より)

ジョグトリップがランニングクラブにならなかったわけ

 ジョグトリップは年間24回開催しています。各大会独立のイベントとして。
 当初から思っていたこと。ランニングクラブにはしない、ということ。クラブにはならないこと。なぜか。
 私自身、拘束されるのが苦手。チームスポーツを目指すんであれば、サッカーとか野球とかバレーボールとか、他に選択肢がたくさんあります。でも、ジョギング・マラソン。
 基本ひとり。基本ひとりで活動できて、やめたくなったら自分の意志でやめられる。もう少し頑張りたかったら、欲張ってできる。
 でも、ず〜っとひとりじゃ寂しいものです。経験あります。走り初めの頃。
 九州各地の大きなマラソン大会に行くと、あちこちにテントが立ったり、シートが敷かれて、大勢で和気あいあい楽しそうな光景を見ることができます。こちらはひとり。ひとりきり。ちょっと寂しいものがあります。
 知り合いは欲しい。マラソン大会に行ったら「おおっ、久しぶり!」なんて言いながら雑談でもしたい。仲間は欲しい。でも、拘束されたくない。ランニングクラブには入りたくない。
 そういうある意味欲張りな思いが、ジョグトリップ開催の原動力になっているかもしれません。
 「参加しないといけない」とか「メンバー同士仲良くしなきゃ」とかなくて、参加したいときに参加したい。気が合う人がいれば仲良くなりたい。気軽に自分の都合で参加して、ストレスなく会話できて、自分のペースで走ったり、人のペースに合わせて走ったり、融通無碍。立ち止まって風景をゆっくり写真に撮ったり、わいわいおしゃべりしながら走ったり。
 そんなゆる〜い関係。参加者同士。参加者と主催者。心が袖振り合う時間を楽しみたい。楽しんでもらいたい。人との会話、自分との会話。
 そんなわがままで贅沢な欲張り屋さん。

知識が思考の邪魔をする?

 知識を使ってしまい、考えることをやめてしまうことってあります。特に新しく仕入れた知識は使いたくて、何も考えなしに使ってしまいたくなります。
 例えば「フリーメイソン」みたいな本を読んで陰謀史観になってしまったり、ワイドショーで取り上げられた健康食に飛びついたり。
 知識は道具。考えるための道具。なんだけども、新しい道具は使ってみたい。買ったばかりの家電品、apple watch、大工道具、化粧品、バッグ。
 私も新しもの好き。買ったものを家に持ち帰る時間が惜しくて、その場で箱を開けてすぐ使ってみたい方です。なので、よほど気をつけないと、新しく仕入れたモノを使って、振り回して、振り回されて、しまいます。
 人間は忘れやすい動物。眼や耳や鼻を通してどんどん新しい情報が入ってきます。それを全部収納してたら、いくら脳が優秀でもすぐ一杯になってしまう。なので、どんどんスルーしたり、ゴミ箱に入れたり、昔の情報の上書きしたり。
 で、自分が気に入った新しい情報が入手できたら、それで頭が一杯になっちゃうんですよね。使いたくて仕方がない。
 使ってみたら、意外と使えたりするんですよ。これが。便利。簡単。
 そうなると考えなくなります。便利簡単だと、それに頼ってしまいます。これが落とし穴。
 画一的・ステレオタイプ・マニュアル通り。
 脳が、頭脳が、腸脳が、退化してしまいますよぉ。考えられなくなりますよぉ。ただでさえ脳は怠け者なんですから。
 これ、第三者からすると「レベルが落ちたなぁ」という評価になります。外から見るとすぐ分かります。怖いですねぇ。
 なので、たまにはじっくりゆっくりたっぷり考えてみましょう。ね!

iPhoneのカメラ礼賛

 iPhoneで写真を撮るようになって写真との付き合い方が変わったような気がします。もともと写真が趣味ではありましたが、それまでは「今日は写真を撮りに行くぞ」と、カメラを首からぶら下げて撮影地に向かう、いわゆる「撮影行」でした。
 日常的にカメラを携帯するにはちょっと無理があります。コンパクトデジカメであってもそうです。
 でも、iPhoneなら携帯できます。いつでもどこでも。日常的に移動してたり、ひとりジョグトリップしているとき出会う光景を画像に収めることができます。
 とりあえず画像に収めることが大事なんですよね。どんな素晴らしい景色でも、カメラがないと写真に撮れません。当たり前ですが。思い出として心に深く記憶するという方法はありますが。
 とりあえず画像に収める。テクニックとかスキルとか感性とかの前に、とにかく写真に撮る。それが写真の本質だと思います。
 芸術的写真の前に、写真は記録。それが一番わかるのが、江戸時代とか明治大正時代とかの写真。技術的には相当なものが必要ではあったでしょうが、普通の肖像画であり、普通の街角写真。その「普通の」写真に価値が出てくるんですね。記録としての価値ですよね。すごい価値。
 家族のアルバムもそうですね。とにかく写真に写っているってことが一番大事。いつ誰とどこに行ったのかとか、家の中とか庭先とか。すごい価値。
 
 iPhoneのカメラで残念なのが光学ズームがないこと。ピンチアウトして拡大できるけど、画像をトリミング(切り取り)しているだけなので本当のズームじゃありません。
 でも、これが写真の上達に役に立つんです。ズームを使えない、ズームを使わない、ことで写真が上手になります。
 よく言われることですが、まず単焦点レンズを使いこなすことが上達の早道。
 このカメラでこのレンズで撮影するとどこからどこまで写るのか、それを身につける。そうすると、風景を眺めただけで構図が見えてきます。あとは、しっかり撮るだけです。

 う〜ん、、、。オフコースじゃないけれど「言葉にできない」。

「ピンポ〜ン」ひとつにも味がある

 昨日の午前中のことでした。家におりますと、小さく「ピンポ〜ン」と玄関呼出チャイムが鳴りました。出てみると、布団綿打ち直しの営業マン。「うちはいりません。ありがとうございます」と丁寧にお断りして帰ってもらいました。この、断るときには丁寧に「ありがとうございます」の言葉を添えて、ってのもコツの一つなんですが、それはこちらに置いといて。
 「ははぁ〜ん。なるほどぉ〜」と気付いたことがあります。
 近所の方とか家族が「ピンポ〜ン」する音と、その営業マンが「ピンポ〜ン」する音が明らかに違っていたんです。機械が鳴らす音なので、そんなことあるはずないと言われそうですが、確かに明らかに違ってました。
 具体的に言えば、音が小さく聞こえた。「あれっ、鳴ったかなぁ」くらい。さらに言えば、おそるおそるの気配が音に宿っていた。
 私も営業マンの経験ありますので、「ははぁ〜ん!」と思ったわけです。
 研修で教えられたことで、外回りするときは「この私が来ているんだから出てきて当たり前でしょ」という気持ちでピンポンしなさいというのがあります。
 実際に私、やってました、その気持ちで。そうすると、ゆっくり落ち着いて深く長くピンポンできるんです。「ピン、ポ〜〜ン」って感じ。
 同じ条件での比較はできませんので厳密には言えないんですが、うまくいくケースが多かったです。
 そういう気持ちでいることで自分自身の心構えが違ってくるということかもしれませんし、実際にピンポ〜ンが相手に影響を与えているのかもしれません。でも、有効な面談につながっていった感触はあります。
 で、今回の営業マンです。明らかに遠慮気味なピンポンでした。そして、お会いしてみても遠慮気味で「すみません、ごめんなさい」的な印象を受けました。すごくいい人で、まじめな人なんだと思います。だから、私も丁寧にお断りできたのかもしれませんね。
 どちらが良いとか悪いとかいうのは別にして、たかが「ピンポ〜ン」にも表情があるということ。

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