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ジョグトリップの生い立ち

 私、網本裕之の思い出話になることをお許し下さい。 
 40歳を目前にした頃のことです。当時の職場に駅伝チームがありまして、同僚たちが地元の駅伝大会に参加していました。そのころから写真が趣味でしたので、「ひとつみんなの走っているところを撮ってみるか」と思い立ち、ほぼ全区間を車で回り望遠レンズで撮りまくりました。その日の打ち上げにも呼ばれて酒を飲み、いい気分。「どうしてわざわざ走るのか?」「車で行けばすぐじゃないか」などと戯言を言いながらも、「オレも走れるかもしれない」と思い始めてました。
 実際走り始めたのはそれから間もなくでした。
 妻の実家までの1kmにも満たない道を走って、ゼイゼイ言ってましたっけ。そのうち3km走れるようになり、5km、10kmと距離を伸ばしていきました。
 それなりに走れるようになったころ、これからどう走ればいいのか、駅伝部員でもある元陸上部の人に訊いたら、「タイムを縮めるようにしていった方がいいですよ」と言われました。その時、私は「それはきっと違う」と直感的に思ったんです。価値観の違いに気づきはじめた分岐点だったのかもしれません。私は距離を伸ばす方向に行きました。
 ハーフマラソンからフルマラソン。走るなんてことに全く縁のなかった私が走ることに目覚めてしまい、九州各地のマラソン大会に参加しはじめました。周囲の驚きの目ったらなかったですね。
 大会のコース上から薄型デジカメで大量に撮った写真を「ジョギフォト天国」と名づけたサイトにアップしてたのがこの頃です。走るのが楽しみなのか写真を撮るのが楽しみなのかよくわからないという、今に通じることを当時からやってたんです。
 当時はマラソンを走りながら写真を撮るなんてことは非常に珍しかったので、「ランネット」の特集ページに取り上げられたり、それなりに盛り上がっていたんですよ。
 で、どうやらウルトラマラソンという100km走る大会があるらしい、と知るようになります。「走ってみたい」「でも自信ない」「参加料も高いし」と逡巡した挙句、「それなら自分で作ってしまえ」となっちゃったんです。ここがまた分岐点だったんですね、いま思えば。
 2004年の春、「ジョギフォト天国」のサイト上で「勝手にウルトラin平戸」と銘打って、平戸一周100kmの告知をしました。「どなたかいっしょに走りませんか」と。
 残念ながらその時は反応が皆無。一人で走るのもつまらないし、結局取りやめとしました。ここから、トライ&エラーが始まるんです。
 気を取り直して「もうちょっと短い距離なら、もし誰も集まらなくても自分一人で走れるかな」と思い、開催したのが「スーパーマラニック50in平戸島」。2004年11月14日のことでした。
 命名は、当時脱サラしたばかりのランザローテ田中店長。マラニックという言葉もその時初めて知りました。
 参加者は私を含めて5名。長崎県から3名、熊本県から1名、そして東京から1名。この5名はその後も大会の中核となりました。
 数年後「橘湾岸スーパーマラニック」を立ち上げる阿部さん、ウルトラ界のスーパーレディ澤田さん、何度も平戸生月をいっしょに走った東島さん、4回にわたって東京から毎年参加し続けてくれた福田さん、そして私。
 よくこのメンバーが集ったもんだと思います。ある意味奇跡かもしれません。
 それから長い歴史が始まります。2007年には、「嬉野武雄街道」「おぎようかん」「松浦フル」「平戸街道」「松浦伊万里街道」「平戸島」と、今につながる大会が揃い始めました。
「駄マラニック」を最初に謳ったのは、2009年2月15日の「長崎街道嬉野武雄路駄マラニック」。 
 そして、2015年5月、「ジョグトリップ」と名前を改めリニューアルしました。
 10年以上に渡り皆様に愛されてきたこの大会たちは、私にとっても宝物です。大切に大切に育てていきたいと思っています。今後とも、よろしくお願いいたします。

速い方の制限時間導入の経緯もお読みください

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